連載コラム 『NEW VOYAGE!!』

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『光と影』
「光と影」
こんにちは!先日、今年収穫した小麦の麦わらを使って、ヒンメリという北欧の飾りを作ってみました。
太陽の出ない時間の長い北欧で、光を取り入れるサンキャッチャーとして作られたものです。
また、今回ヒンメリに吊り下げた飾りは、ストロースターと言って、ヨーロッパで麦わらのストローを幾つかに割いて星や雪の結晶のような形に束ねたものも作って吊下げてみました。

ヒンメリ用に材料を丁寧に準備した訳ではないので、割れやすく作りにくく、割けて緩んだりして形が保ちにくかったのですが、何とか形になりました。
ヒンメリは、つるつるとした麦がキラキラと光り、風でゆっくりずーっと動いて回るので、まるで、流れる雲を眺めるときのような素敵な時間を与えてくれます。
そして、ヒンメリの美しさのもう一つの大きな要素は、「影」です。
サンキャッチャーとしてキラキラ輝くヒンメリの後ろには、綺麗な幾何学模様の影が移ろい、それがまたとってもいい雰囲気なんです。

最近は、ストローで代用したり、本当の麦わらを使って作る方も増え、クラフト好きの方には、国内でも流行りつつあるようです。
インターネットには本当に沢山の素敵な作品がありました。ご興味のある方は是非、ヒンメリの世界を覗いたり作ったりして、楽しんでみて下さいね。

さて、そんなヒンメリを今なぜ作ったのか、少し真面目なお話です。

環境破壊が進み、いよいよ大きな変革が迫られる状況の中、最近、SDGS(持続可能な開発目標)のバッチや張り紙を見たり、17の目標への取り組みを知る機会が増えています。

そんな中、私たちはより一層意識して、本業である農業で、環境負荷の少ない農法を日々実践し、地球に負荷を掛けずに継続、発展させていく事ができるように日々取り組んでいます。

必要に迫られていることを企業や一人ひとりに具体的に取り組んで行なってもらうことが大きな目的の一つであるSDGSを、私たちも強く意識して新しい取り組みも模索しています。

先ほどのヒンメリは、その一つである麦わらストロープロジェクトで作った麦わらストローの活用の一つの試行です。

日本では、稲わらが中心でしたが、昔のわら細工は、日常生活に深く根付き、生活を支えるものでした。草履も、座布団も、ロープも、食品の包装も、色々なものがわらを細工して作られていました。

現代は、プラスチックや化学繊維が便利だということで、そのような人工的な素材を生活の中心として使うことが主流となりましたが、このような地球が危機的状況にある中では、自然素材を活用することに目を向けていかなければなりません。

麦わらストローを作ること、ヒンメリを作ることには、量が少ないことやその性質から、大きな成果が見込める訳ではありません。

しかし、少しでも、自然素材の魅力から、そのような環境負荷を減らす動きを感じ、興味を持ってくれる方が少しでも増やすことができたら、それが行動変容のきっかけになり、結果として環境負荷を減らすことに繋がると思っています。

先日、一冊の書籍で、強く胸に刺さったメッセージがありました。

「心地の良い嘘」と「不都合な真実」どちらを必要とするかということです。

この書籍の中では、別の一つの事柄について問うていたのですが、私たちの生活では、「心地の良い嘘」を皆が信じ、「不都合な真実」に気付く人が非常に少ない、そしてそのことが世界を暗くしているという現状が、色々な場面で見られるということに思い至りました。

大抵は、経済活動を推進する為、商業が儲かる為に、とかく物事の「楽しさ」や「美しさ」、「メリット」等、輝かしい「光」の部分だけに大きく偏って見せる働きによって、本来、光と同時に認識されるべき「闇」が見えにくくされ、結果として、その光に惑わされて光を強めることで、それと同時に影を濃く広くしてしまっていることに気付いていないことが沢山あると思うのです。

例えば、「アパレルの消費」はどうでしょうか。

私たちは、ファッションへの関心が高く、ファッションをとても楽しんでいます。そして、一つ一つの服を長く大切に最後まで着るというよりは、次々に流行や季節に合わせて服を買うという行動パターンを習慣としています。かわいい服が次々に市場に出回り、ファッションを楽しめるという光の裏にある影は何でしょうか。

それは、他国で児童労働が加速されている問題だったり、国内で大量の服が廃棄されているというようなことではないでしょうか。私たちや他国の方が働いて作った服を大量に捨てているということは、無駄に労働していることでもあり、児童労働も含めた過労を促進していることだとも言えるのではないでしょうか。

服だけでなく、他の私たちの日用品や食品についても同じことが言えるのだと感じます。

また、別の例でいうと、「ペットを飼う」ということはどうでしょうか。昔は、ペットの種類も少なく、個人間でやり取りしていた規模だったペットの業界ですが、現在は、一つの産業として規模が拡大しています。

ペットショップに行くと本当に沢山の種類の動物が居て、中には、遠い外国から連れて来られた動物や日本の気候では生きることが難しい動物など珍しい動物も豊富に飼うことができます。

では、ペットを購入して飼うことによる「闇」はなんでしょうか。

それは、広くペットが飼われたことにより、飼えなくなった飼い主が動物を遺棄することが増えたということです。飼いにくい動物だったり、繁殖して増えて飼えなくなくなってしまった動物、飼い主の住環境が変わり飼えなくなった動物、色々なケースがあるのでしょうが、遺棄される動物が増え、その分保健所に保護される動物も増え、飼い主を見つけるスピードよりも遥かに保護される動物が多くなっていて、結果として、大量に殺処分することになってしまっています。また、ペットショップに並べられる前の動物たちの扱いについても問題はあるようです。

別の例では、食品はどうでしょうか。例えば、最近は美味しくて便利な食品がどこでも簡単に手に入ります。しかし、その美味しさや便利さと引き換えに、「化学調味料や保存料などの食品添加物」や「農薬の使用量の増加や残留農薬」「ワクチンまみれで飼育された動物の肉や牛乳、卵」等、安全でない食品もその中にはあります。

「見た目の良さ」「美味しさ」「便利さ」といった「光」の部分だけを見て、安全でない、もしくは危険な食品について知らずに、購入し継続的に食しているとしたらどうでしょうか。

それは、あなたの一番大切な体を蝕み、病気になったり、病気になる年齢を早めて健康寿命を短くしたりするでしょうし、更に怖い事には、危険な生産・飼育・製造を増進し、そのような食品を増産することに知らず知らずに加担してしまうのです。

最近よく耳にする、芸能人等の有名人の闇もそうです。

ワイドショーや雑誌等でゴシップを楽しむという娯楽が、有名人のプライベートを崩壊させたり、心身の病を引き起こすことに繋がってしまうのです。

光に照らされたどんな物体にも影ができるように、どんなきらびやかで楽しく魅せられている営みにも、大抵は必ず影があります。

その影は、光が強くなり、まばゆく輝けば輝くほど大きくなる側面が否めません。

では、その闇や影に当たる「不都合な真実」を少しでも減らしていくためには、何をするべきなのでしょうか。

まず、「光」である「心地の良い嘘」に気付き、セットである「闇」についても、「知ろうとし、気づくこと」だと思います。

影を認識することができれば、光だけに惑わされて、どんどんどんどん影を大きくする行動を自重できるからです。

強すぎる「光」と「影」では代償が大きすぎるので、そこそこの「光」で満足することを覚え、「影」を抑えるというのが本当の私たちの幸せなのではないのかと思うのです。

便利で快適、オシャレな生活は、確実に環境破壊を加速しています。環境破壊を加速させないように、起こさないように、便利で快適でオシャレな生活を工夫して楽しむ方法を探るのも必要かもしれません。

でも、本当は、少しの「光」で満足し、楽しめる豊かな心を一人ひとりが持てることが私たちに求められていることなのだと思います。

「環境破壊」という言葉を遠ざけ、「環境負荷の少ない生活」を義務のように重苦しく感じるのでは無く、何ができるか、楽しみながら考え、実践できる方が増えたらと願っています。

ちょっと重たくて長い話になってしまいましたので、最後まで読んで下さった方には、心から感謝致します。

ヒンメリの話だけをするときっと、楽しく後味の良い、読みやすいブログになるのでしょうが、「心地の良い噓」では無くて、「都合の悪い真実」を共有し、一緒に本当の意味で、住みよい地球・社会を作っていける仲間が増えたらと願って、いつもお話ししています。
『手作りコラム 季節のおやつ⑦』
こんにちは。

夏らしい暑い日が続きますね。

初めは辛い夏の暑さですが、少しずつ体も慣れてきた頃ではないでしょうか。

さて、今日は、先日漬けた梅干し繋がりで、「手作りお茶漬け」のレシピをご紹介したいと思います。

手作りというには、随分物足りないかもしれないのですが、暑い夏に、熱いお茶漬けと梅干しで精を付けていただけたらと思い、ご紹介させていただきます。

【材料】
・ごはん 100g
・だしの素 2-6g
・焼きのり 適量
・白ごま 適量
・梅干し 1粒
・お好みの具 適量
 (お肉、魚、野菜)
・お湯
※全ての材料について、量は目安ですので、お好みで調整して下さい。

【作り方】
① ご飯を茶碗によそう。
② ご飯にだしの素を振りかける。
③ お好みの具があれば載せる。
④ 白ごまを振りかける。
⑤ 焼きのりを、ちぎるか刻んで振りかける。
⑥ 梅干しを載せる。
⑦ お湯を回し掛ける。

具無しでもとても美味しいですし、冷蔵庫の残り物を載せて食べてもご馳走になります。

今回我が家では、茹でトウモロコシの実を削いだものと、茹でたオクラが残っていたのでいただきました。トウモロコシの甘みが子どもたちに人気でした。

夏休みに入り、家族がお家にいると、3食手間入りのメニューは大変ですので、一食お手軽にするのにも便利でお勧めのお茶漬けです。

また、他の季節より暑さやプール遊び等で体力を消耗し、お腹の空く子どもたちには、おやつにもサラッと食べれてお勧めです。

「こんな暑い中?」と思われるかもしれませんが、クーラーや水遊びで体を外から芯まで冷やした上に、食事やおやつでも冷たいものを摂っていると、内臓が冷えすぎてしまいますので、元気に夏を越える為にも、夏こそ温かい食べ物やお風呂で体を温めてご自愛していただければと思います。
「待ちに待った梅雨明け」
皆さん、こんにちは。

やっと長い梅雨が明けましたね。例年楽しみにしている梅シロップ作りなのですが、今年は新たに「梅の実狩り」を体験し、その梅で初めて「梅干し」を漬けました。

そして、先日の梅雨明けに、ピカッとした晴天の中、梅干しを干しました。

青梅の状態から、漬けているうちに、赤、緑、黄色と色に違いが出てきていて、並べているとカラフルでとても綺麗です。

初めてなので、梅干しに適した自然落下した梅が用意できなかったのと、漬けるまでに時間が掛ってしまったので、上手にできるのか分かりませんが、どんな風に出来上がるか楽しみです。
「『命』について~不味いとか、気持ち悪いとか~」
皆さんこんにちは。5月も下旬になり、暑いと感じる日が増えてきましたね。田んぼの稲も青々と育ち、畑の小麦は黄色く色付いてきました。毎日歩く田んぼ道も、同じように見えて、毎日景色が違いとても面白いです。

さて、先日、家族でさくらんぼ狩りに行きました。大きなハウスに入ると、一つの木に物凄く沢山のさくらんぼが実っていて、皆で歓声を上げてしまいました。一つの枝に、物凄い数のさくらんぼがみっちりたわわにぶら下がっていて、とても驚きました。

受付を済ませて、さくらんぼについてお聞きすると、品種名と特徴を教えて下さいました。品種名は初めて聞くもので、味は、「甘みが少なくすっぱい品種」だということでした。

以前、山形県でさくらんぼ狩りをした時、物凄く甘くて美味しいさくらんぼをいただいた私たちは、一口そのさくらんぼを食べて、甘みが少なくすっぱくてびっくりしました。さくらんぼは、高価で普段食べなれないからこそ、さくらんぼの味って一部しか知らなかったんだなと感じました。

そして、「この品種は、一つの木に物凄く沢山実る代わりに甘みは少なくなるのかな。」、「水の量や時期も影響するのかな。」等と考えたりしました。そして最終的には、「この木の中で食べ頃の実はどれだろう。」と真剣に目利きして、「やっぱり色が真っ赤で濃いものが美味しい。」「太陽によく当たる位置のものが美味しい。」等と発見して、わいわい楽しく戴きました。

鳥も私たちも甘い実を食べたいのは同じで、だからこそ、生き物にはそれぞれに必要な色覚が育っているのだなということもしみじみと感じました。食べていると、「あっ、これ当たり!!」とか、「あっ、これ木みたいな味がする。」とか、一見割れて食べられないかと思っていた実が甘い確率が高いとか、本当に色々な気付きもありました。

さて、さくらんぼ狩りをしていた時、「このさくらんぼ、味が薄い。美味しくない。」と言っている人は一人もいませんでしたが、普段、食材や料理が少し希望と違うだけで、「美味しくない。」「これは嫌。」と簡単に言っている場面も多く見かけるなと思います。

私たちは自然の近くにいる時、自然に触れている時、つまり自然に融合している時、その自然や命に対して、自然と畏敬の念が生まれて、文句を言う気にはなれないものです。

でも、近年は、子どもが自然遊びをする機会が減り、農作業に触れる機会も減り、自然や命に対して切り離された感覚を持っている人が、大人も子どもも多いのではないかなと感じます。

「自然に生かされている」感覚や、「全ての命、そのものがそのままで有難い」という感覚が薄らいでいるということを感じるのです。

食べ物に対して「美味しい/不味い」「高い/安い」とだけ判断していることや、虫に対して「好き/嫌い」をあからさまに出して、ペットとして猫可愛がりしたり、よく見も考えもしないで毛嫌いしたりすること、酷い場合は、「気持ち悪い」という言葉を向けていることは、日常にありふれているのではないでしょうか。

私は、命に対するそのような扱い方に、とても違和感を覚えます。

一つの種が大地に落ちて、種から根と芽が出て、太陽が差し、雨が降り、芽が伸びて、風が吹いて病気も防ぎ、虫が受粉をしてくれて・・・これは、人間のなせる業なのでしょうか。人間がしていることでは全く無いのです。

この、自然と命の本質から切り離されて暮らし、間違えた認識を受け継いで、本質に対して鈍くなってしまっているのが、最近の私たちなのだと感じます。

本来、私たち人間は、多くの物を持たなくても、「自分を育んでくれる自然=生命体=食べ物」と「自分の命」「家族」があれば幸せに生かされます。

スーパーの野菜で言えば、「虫食い」のあるものや「土付き」・「葉っぱ付き」のもの、「形が正対称でない」もの、ましてや「虫の付いた」ままのもの等店頭に並んでいません。味は、「甘さ」競争が激しく、色も、「カラフル」競争が絶えません。

調理では、昔ながらの和食の薄味の煮物、味噌等の発酵食品等は好まれにくくなり、洋食のスープやソース等濃い味付けが好まれ、野菜や豆よりは、お肉が好まれるように変化してきています。写真映えさえよければ、味や素材は気にしない、安ければどちらの野菜でも良いという感覚の方も増えてきていると思います。

食べ易いもの、美味しいものを追求することは悪いことではありませんし、味付けも好みで自由です。しかし、自然に生かされていることを忘れて、変に我儘になったり、本来一番大事ではない表面的なことを重要視して食材や料理を捉えたりしてしまっていて、自然の味を素直に味わうことから遠ざかっているのは、良くないことでもあるし、不幸せなことだと思うのです。

子どもは、初めて虫を見た時に、虫を毛嫌いすることはありません。初めてゴキブリを見て、他の虫以上に拒否反応はしません。ニュートラルに、「何だろう。」「凄い、動いてる、生きてる!」と感動し、観察したり、触ったり、捕まえたり興味を示します。

大人も、自分の価値判断を一旦脇に置き、ニュートラルに自然や命を見つめ、ただただ何かに許され生きている自分自身を感じることができた時、本当の心の安らぎと幸せに出会えるのではないかと思います。
「ベールの下に隠れている『人とは違う自分』は宝物」
「晴れでもおはよ!雨でもおはよ!曇っていーてもおっはっよー♪」

こんにちは。朝から雨模様ですが、皆さまいかがお過ごしでしょうか。

冒頭の台詞は、娘たちがよく口ずさんでいる歌です。子ども向けの歌はとってもいい歌詞が多くていつも元気をもらいます。

今日は雨なので、ちょっと外へ出るのに躊躇しましたが、私もこの歌を口ずさみながら、「雨でも、おはよ!」と朝のお散歩に出かけました。

一概に雨の日といっても、空気の温度や、土の匂い、風や雨の強さ等、その度に違いますし、一歩外に出てしまうと色々な発見がありますね。今朝は、こんな雨の中、一匹の鳥が高い所で体をバタバタ言わせてホバリングしながら、元気に鳴いていて不思議でしたし、紫色のナヨクサフジが一面に咲いていて、雨に濡れてとても綺麗でした。

さてそんな今日は、最近考える機会が多かった「個性」と「自己表現」についてお話したいと思います。

先日、「リーダー研修」を受ける機会がありました。私も含め、一緒に参加したメンバーは、チームを良い方向に引っ張って行こうという気持ちが強いリーダ-達です。

しかし、そんな私たちですが、普段「こうしたら良くなる!」「こういう風にしたい!」「このままじゃ良くないかも。」等という気持ちが沸いても、それをどう表現・実行したらいいのか確信が持てなかったり、発信することや最後まで伝え切ることには、不安があるという悩みを抱えていたように思います。

研修の中で、リーダーには、①業務の成果を上げること、②部下を育成すること、③自分の人間力を育てることの三つが求められていること、また、部下を育てる為には、自分の人間力を『行動』を持って育てていくことが何より重要だということを学びました。

素晴らしい人間性は、直ぐに育ちませんが、素晴らしい行動は、今この瞬間から実行可能です。そしてその行動は、私たちを素晴らしい人間性へと確実に近づけてくれます。

素晴らしい人間性から素晴らしい行動が生まれると考えると、なかなか素晴らしい人間は育ち難いですが、素晴らしい行動をしているうちに素晴らしい人間性が育っていくと考えると、誰でも実行・実現できるのですね。

そして、そのリーダーに欠かせない具体的な行動の一つが、「発信し、伝える」ことです。リーダーが自分の価値観や人間性を持って、自分の考えや方針を根気強く伝わるまで発信し続けることがとても重要だと学びました。

特に、リーダー自身が「絶対に譲れない」信条というものを明確に示すということはとても重要なことだそうです。

しかし、これは、日本では苦手な方が多いのではないかと感じます。

日本は、島国で昔から小さな集団で協調することを大切にする文化です。

最近は、個人が情報を発信し、個人が事業を起こし、共感する個人が集まって集団が作られる時代になっていますが、それでもまだ、自分の楽しかったこと、興味関心や出来事は発信できても、自分の根幹となる肝心なところを発信出来ずに隠して、その窮屈さにも慣れてしまっているような人は多いのではないかと感じます。

私も、社内で方針を話す時、自分の想いや願いを話す時、受け入れてもらい難いことを話す時、不安になることがよくあります。また、このコラムや普段の会話の中でも、一歩踏み込んだ自分のことを発信する時、批判や理解されないことが想定されて、怖いと思うことがあります。

しかし、このリーダー研修を受けて確信したことは、発信を怖がるリーダーの元で働くメンバーはもっと不安なはずだということです。分かりやすいリーダーの元では働き易い、分かりやすい人とは付き合い易いですよね。分かりやすく伝えてくれれば、共感もできるし、反対意見も伝えることができます。

相手の受け取り方に配慮せず、人を傷つける表現をすることは良くないですが、そうでない場合においては、一人一人が「どう思っている」のか、「どうしたいのか」ということが一番大切な答えであり、それを伝えることは必須で、それが互いに分かってこそ、コミュニケーションは始まるということなのだと思います。

その際、全員個性が違って、考えや想いが違って当たり前であり、それが表現できることが健全な状態であるということです。

自分を表現して理解してもらうことをせずに、表面的に共感したり、ただ合わせることが協調性だと感じている方も多いとは思いますが、本当は、互いにありのままを理解し合う、つまり、互いに違うということを理解し合った上で、協調するということが、全員にとって意味があり、心地の良い集団を作るのだと感じます。

人と違うことは素晴らしいことです。人と違う自分を認めて愛することは、とても幸せになれることです。そして、違うことを伝え合い、理解し合うことは、きっとそれぞれの内面的な世界を豊かにするでしょうし、価値が高くて楽しいことでしょう。

皆が、人と違う自分を愛し、楽しみ、表現して、より良い居場所を作れる世の中になったらいいなと願いますし、私も自分の近くから、そんな自分やチームが作っていけたらいいなと思っています。
皆さんこんにちは!

今年は早くに満開となった桜が、随分と散って新緑が顔を出し、葉桜の姿になりましたね。

大人も子供も新年度が始まり、新しい環境にわくわくしたり、気が引き締まったり、新しく来られた方にフレッシュな気持ちをもらったり、いろいろな感情の変化もある時期だと思います。

まだまだ緊張感が解けない時期かとは思いますが、ちょっとリラックスして息抜きして、自分を整える時間も大切かもしれません。

さて、今日は、心と体にちょっと精の付くおやつをご紹介いたします。

強力粉を使った『もちもち肉まん』です。



【道具】
・せいろ(鍋に入れるタイプの簡易蒸し器でも可)
・ボウル

【材料】※肉まん6つ分
<皮>
・強力粉-150g※薄力粉でも可
・ドライイースト-3g
・砂糖(てんさい糖、素焚糖、グラニュー糖 等)-20g
・お湯(40℃ぐらい)-90g

<餡-豚肉まん>
・豚肉-120g
 ※豚肉を包丁で叩くと旨味が出て美味しいですが、ミンチも可。
・ネギ-半本
・生姜-1かけ
※以下の調味料は、小さじ1ずつ
・醤油
・酒
・ごま油
・オイスターソース
・片栗粉
※味が薄い場合は、レンジで加熱して試食しながら、オイスタソースや塩で調整。

<餡-あんこ>
・市販のあんこ120g
※ぜんざい用ではなく、水分の無いもの

※餡は、豚肉かあんこかどちらかをお選びください。餡を半量にするか、皮を2倍にして2種類楽しむこともできます。

【作り方】
① 強力粉にドライイーストを混ぜます。

② 砂糖も加えてざっと混ぜます。

③ お湯を加えます。

④ 粉けがなくなるまで両手で混ぜます。

⑤ 台に出して100回ぐらい引っ張ったりたたきつけたりしてこねます。ひとまとまりにします。

⑥ ボウルに入れ、ボウルに濡れ布巾をかけて、一次発酵させます。
あたたかいところに1時間ぐらい置きます。2倍ぐらいにふくらめばOKです。

※ここまでは、パン焼き機で行うこともできます。

⑦ あんを作ります。ねぎはみじん切りにします。

⑧ 材料はみじん切りにし、調味料を加えて混ぜ、よくこねる。

⑨ ⑥のふくらんだ生地をやさしく押さえてガスを抜きます。包丁で6つに切ります。

⑩ 手で簡単にまるめます。1個あたり40gぐらいです。



⑪ 濡らした布をかけて10分ほど休ませます。

⑫ めん棒でのばすか指で引っ張って手のひら大にします。

⑬ 6等分したあんをのせます。

⑭ 生地を両手でつまんで包みます。

⑮ 真ん中に寄せてギュッと絞ります。

⑯ オーブンシートにのせて蒸し器に並べます。濡れた布をかぶせて15分ほど2次発酵させます。お湯をたっぷり沸かし始めます。

⑰ 蒸気の立った蒸し器にのせて15分ほど蒸して、出来上がりです。



美味しく作る一番のコツは、水分量です。レシピよりも水分を足す程に、もちもち食感が楽しめますが、調理中や成型はし難くなるので、ギリギリのラインを狙うのが美味しく作るコツです。

こんなにべちゃべちゃでいいのかなというくらいの水分量多めが美味しいですが、少しずつ挑戦してみて下さい。成型の際は、打ち粉をしっかりとすると、扱いやすくなります。

勿論薄力粉でも、ふわふわ軽い食感の肉まんが作れますが、強力粉で作った肉まんは、いつも食べている肉まんと全然違う食感で、とってももちもちです。おなかが空いている時や、もちもち食感を思いっきり楽しみたい時は、強力粉で作るのがおすすめです!

一回で6個分作れる分量をご紹介しましたが、 倍量で作ることも可能ですし、同じ分量で12個作って、一口サイズのミニ豚まんを作っても食べ易くてお勧めです。

色々と試してみて下さいね。

4月の金曜日と土曜日は、直売所で、10時から16時まで手作り肉まん試食会もしていますので、是非ご気軽に遊びに来て下さいね!

手作りのホッカホカ&もっちもちの肉まんを、本格せいろで蒸してお待ちしております。
「自然環境に感謝しよう、そして地球の悲鳴に耳を傾けよう~社会貢献よりも、SDGSよりももっともっと大切なこと~」
太陽がぽかぽかと照り、すっかり春の気候になってきましたね。春日和は、とても気持ちが良く、自然とわくわくして、外に出たくなりますね。

布団やシーツのお洗濯、お散歩や公園で遊ぶ、縁側でお昼寝・・・人それぞれ色々したいことがあると思います。

私たち農家にとっては、育苗や田植え等忙しい時期の始まりですが、春になると自然と体が動き出して皆テキパキ農作業に励んでいます。

そんな春ですが、山や公園、近所を歩いていると、至る所に春に向けて準備する自然の姿があり、春が突然やって来るのではないことが分かります。

2週間前、山を散歩していると木々の枝に、今にも葉が出てきそうな冬芽が沢山見えました。桜に先駆けて、梅の花も満開でとても綺麗でした。

逆に、この寒空の下の低い木に、小さな蝉の抜け殻がビッシリ付いているのを見つけて驚いたりもしました。よく見るアブラゼミの抜け殻よりもうんと小さくて、どの蝉の抜け殻か分からなかったのですが、調べてみるとヒグラシの抜け殻でした。楽しくなってしまい、持って帰って、花瓶に木の枝を活けて、そこに付けて飾ってしまいました。



半年以上前の命の息吹を感じられることは、とても楽しい体験でした。

最近私はよく、自然環境について考えます。少し前、ゴミ拾いをした時、始める前は「役に立ちたい」と考えていました。でも、ゴミ拾いを終えた後、ただ、自分の生活の始末をしただけなんだと気が付き、「役に立つ前に、当たり前のことができていない自分」に気付くことができました。

ゴミを拾っていると、勿論わざと投棄された悪質なゴミもあるのはあるのですが、意外にも意図的ではないゴミというものが多いものだと気が付いたからです。

例えば、植木の間に落ちていた軍手。お手入れやゴミ拾いをして下さった方が、置き忘れたり落としたりしてしまったのではないかと感じました。他にも、煙草を落とさない様に配慮されている方が落としたであろう灰皿ケースや、きちんと留め具で留められた中身の残ったお菓子の袋。風で飛んで来たであろう紙切れやビニール袋。

「私が落としてゴミになっていたかもしれないもの」だと感じました。

「私は一度もゴミになるものを、忘れてきたり、落としたことがない」という人がどれくらいいるのでしょうか。人が生活すれば、その分だけ意図するにせよしないにせよ、ゴミは増えるし、その一部は町に転がる結果となる。落ちているゴミは、決して「私ではない悪い誰か」が落としたものでは無いのだと感じます。

先日、環境に関するイベントに参加した際、沢山の環境保護団体やSDGSに取り組む農家や学生が、様々な楽しく為になるワークショップや展示をして下さっていました。

その中で、「買い物は投票なんだ」という素敵な絵本に出会いました。



子どもたちに、自然環境と私たちの毎日の一つ一つの行動の選択がどう関わっているか、もっというと、どう行動すれば地球の自然環境が汚れて壊れていくのか、どう行動すれば少しでも汚さずに済むのかを考えてもらうきっかけにと思い、早速、購入しました。

しかし、読んでみて、子どもではなく、大人が読まなければならない、知らなければならないことだと痛感しました。

これまで自分の生活と地球環境の関係について、真剣に考えたことが無かった方にとっては、毎日食べているもの、洗剤、農薬、プラスチック製品…身の回りの全ての物が違って見えるようになるきっかけになると感じます。

私自身も、「社会貢献よりも、SDGSよりも、まずは知って、真剣に考えること」から始めたいと感じました。

そして、大好きなこの街、この国、この地球、この宇宙の環境がいつまでも豊かで、全ての生物が幸せに暮らせるように考えられる一人の人で在りたいです。


今日は、気温は低く冷えますが、お日様が眩しくとても良いお天気ですね。子ども達が楽しみにしていた3月3日、雛祭りです。娘たちもここ一週間、「きょーおはたのしい ひなまつりぃ♪」と、「うれしいひなまつり」の歌を毎日歌っています。

雛祭りと言えば、散らし寿司や菱餅、雛あられを食べてお祝いをしますね。私は、小さい頃から雛あられがとても好きです。私は関東出身なので、お砂糖の付いた雛あられが懐かしい味です。
さて、雛祭りなので雛祭りのおやつをご紹介しようかとも思ったのですが、雛あられと同じお米を使ったおやつをご紹介したいと思います。

皆さん、ポン菓子って知っていますでしょうか?稲作地帯の地方では、お祭りなどの時の定番のようで、機械の中に米などの穀物を入れて、圧力をかけた後に一気に開放することによって膨らませたお菓子で、砂糖をまぶして甘くしていただきます。「ボンッ!!!」というけたたましい爆発音がするので、大人になって初めて見た時は、その音にも、平然としている人々にもとても衝撃を受けました。

駄菓子屋さんやスーパー、直売所等にも売っていますし、勿論イカリファームの直売所にも置いていますよ。プチプレゼントでも人気です。今日は、そのポン菓子を、もうひと手間かけて楽しく美味しくいただくおやつをご紹介したいと思います。

その名も、「ポン菓子チョコバー」です。



2月の直売所では、「バレンタインデー」に合わせて、「コメンタインデー」キャンペーンをして、お米をお買い上げ下さった皆様に、この「ポン菓子チョコバー」をプレゼントさせていただきました。



この、「ポン菓子チョコバー」を、1か月間で沢山作らせていただいたのですが、どのチョコレートを使うかで、食感や味が変わりとても面白かったです。量が多かったので製菓用のチョコレートを色々と試しながら作りましたが、普通の板チョコ等好みのもので作るのも美味しくできると感じます。

作り方ですが、分量や手順も説明不要なくらい簡単です。念のためお伝えしますが、余り厳密なものではありませんので、適当な量で自分の感覚で気軽に作ってみて下さいね。

【材料】
・チョコレート160g
・ポン菓子45g

 【道具】
・ボール(中サイズ)
・ボール(大サイズ)
・バット
・クッキングペーパー
・ゴムベラ
・包丁
・まな板

 【作り方】
① ボール(中サイズ)に刻んだチョコレートを入れる。
② 温かいお湯を入れたボール(大サイズ)に、①のボールを入れて、ゴムベラでかき混ぜながら全て溶かす。
③ 溶かしたチョコレートに、ポン菓子を入れる。
④ クッキングシートを敷いたバットに③を流し込む。
⑤ 常温または冷蔵庫で固める。
⑥ 固まったら、割れない様に気を付けながら包丁で、バーの形にカットする。

※お湯の温度は適当です。
※ポン菓子は、チョコレートに対して多すぎるかなと思う程度で、やっと食感も出て美味しく出来上がります。白い部分があっても心配せずに、底に溜まったチョコレートを持ち上げる様にして、繰り返しかき混ぜてチョコレートをまぶします。
※クッキングシートは、バットぴったりに合わせて、角が出るようにしっかり折り目を付けると、バーの成型が綺麗に出来ます。
※カットは、固め過ぎると割れやすく、固まっていないと断面にチョコが付くので、中間の、もう少しで固まり切るというタイミングでカットすると、切りやすくきれいに出来ます。
※冒頭にも書きましたが、チョコレートの種類を変えて作ってみると味の違いが楽しめます。

とっても簡単なポン菓子チョコバーですが、ポン菓子の米粒のしっかりとしたサイズによる存在感が絶妙で、ふわっとしているけど表面が砂糖でカリッとしている食感を楽しめます。

ポン菓子自体も、優しく懐かしい甘さを味わえますし、小さなお子様等は一粒一粒指でつまみ、集中して食べてくれるので、手先の練習にもなりますし、ちょっと静かにしていてくれたりもしますし、何より体に優しく与えやすいおやつでもあり、親御さんにとっていい事尽くしのおやつでもあります。

イカリファームでも、プレゼント等では大人の方も、喜んで選んで下さいますし、ひそかに老若男女に人気の根強いお菓子ですね。

ポン菓子自体を楽しんで、次は、チョコバーにして楽しんで、皆さんも是非、ポン菓子を見かけたら楽しんでみて下さいね!
「朝と砂式トケイ」

こんにちは!皆さんは、この1年の時勢により、益々お忙しくなられましたでしょうか。それとも、ご自身を見つめて整える時間や、家族と過ごす時間が増えましたでしょうか。

私は、私生活上も仕事上も影響はあったものの、生活スタイルや仕事のスタイルを大きく変える必要に迫られることはありませんでした。しかし、小さな子どもと生活し、仕事もしているという生活においては、どうしても忙しく日々は過ぎて行き、少しイレギュラーや負荷が増えると、すぐに流され振り回されるように、想いとは違う一日を、結果として過ごしてしまうことも度々あります。

そこで、今日を良い一日にする為に、子どもが起きる前の一人の朝の時間をいつもとても大切にしています。 その貴重な朝の時間に、最近とても気に入っているアイテムが「砂式トケイ」です。

要は、砂時計の事なのですが、購入させていただいたガラス製造の老舗が商品名に使っていたこの、「砂式トケイ」というレトロな言い方も、その魅力を引き立てていて心を惹かれています。

心理学的にも生物学的にも行動学的にも、各人のご経験からも、「朝の気分が一日を左右する。」「朝の過ごし方を制する者は、一日を制する」ということは明白な事実で、朝を上手に過ごしている人には、「明るく楽しく元気に生きている人」「上手く行っている人」が多いということも異論がある人は少ないと思います。

私自身も、これまで様々な書籍や色々な方のお話から「朝」の重要性、効果的な「過ごし方」は伺ってきましたが、最近、アメリカのハル・エルロッド氏の著「THE MIRACLE MORNING」という書籍を読み、朝をより意識し、大切にしています。

常に考え、感じることで頭にたまったゴミを無くし、頭の容量を空っぽにしたり、その日の一日や人生を創る為に、「瞑想」や「アファメーション」(自己暗示)、「イメージング」(その日一日の想像・体験)をすることは、とても大切です。

そんな「瞑想」や、「アファメーション」等なのですが、半分眠ったような状態で、自分自身の潜在意識と繋がった状態で行う事が望ましい為、私は起き抜けの意識をそのままに、必ず一人で静かに行っています。

その時に、どうしても、時計やストップウォッチを気にしたり、ましてやスマホの画面の光を浴びたりすることは避けたいのですが、「砂式トケイ」を取り入れると、朝の活動ととても相性が良く、しっくりとくる相棒となっています。

砂式トケイの砂の落ちる様子をただぼーっと眺めていると、暖炉や囲炉裏の火を見つめたりするのと同じような、癒しと、ある意味の集中をもたらしてくれるので、「考えない」、「無」といった瞑想が苦手な方にも、ただ眺めているだけで気軽に一種の瞑想をすることができますし、何より心が落ち着き心的パワーが上昇し満たされて行くのを感じることができます。

砂式トケイの上部の砂が「未来」、くびれを通る砂が「現在」、下部に落ちて溜まった砂が「過去」となる訳ですが、眺めていると、「現在」は一瞬で「過去」となり、「未来」は常に「過去」になり続けいていることも感じられます。

人により、「未来」重視、「現在」重視、「過去」重視と考え方はまちまちですが、良くあるのは、目標意識の高い方の「未来志向」や禅の「今この瞬間への集中」です。逆に「過去」を重視する考え方に対しては、「過去への執着」のようなネガティブなイメージを持つ方が多いかもしれません。

私は今まで、「未来」には夢や意思を持ちつつ、「現在」を感じ、集中・熱中するということを大切にして来ましたが、最近「私たちにとって最も確かな時間は、過ぎ去った過去の中にしかない」という考え方を知りました。

確かに、過去の時間、例えば私たちの年齢や、過ぎた時間は、測ることができる確かなものですが、現在の時間は一瞬ですし、未来の時間は不確定で確かなものではありません。 過去という確かな事実を振り返り、現在の自分を把握する事で、確かな未来を想定できるという考え方があるのです。

確かに、私たちは過去の自分、つまり、「今日何をしている時が楽しかったか。」「何が得意だったか。」「これまでどんなことをしてきたか」という過去を見つめて再認識することで、それを根拠に「だから次はこれがしてみたい。」「こんなことが出来そうだ。」と未来を見ることができるのかもしれませんね。

そして、未来や現在だけを大切にしていると、年を重ねることは「未来」が減っていく恐怖となるかもしれませんし、楽しいこと、つまり「現在」が過ぎてしまうことを苦痛に感じるかも知れませんが、

「過去」を大切にする考え方を持つと、年を重ねることは、宝箱にステキな「過去」という宝物が増えて行く事かもしれませんし、楽しい「現在」が過ぎることも、心がどんどん豊かになることなのかもしれません。

そして、自分の宝箱にステキな「過去」という宝物を溜めることを意識することは、「未来」「現在」を大切にすることにもつながる事かもしれません。

先日、娘の質問から、家族で「にわとりは、卵が先か」をじっくり考え、ますます分からなくなるということを経験しましたが、「過去」「現在」「未来」についても、どこを重視するか、どの順番で考えるか、入り口や考え方は自由ですが、どのように考えても、どれも大切でどれもかけがえのないものなのだということを、個人的には感じました。

そして、あまり見かけなくなった砂式トケイですが、すごく楽しい世界を感じられるので、皆様にも、砂式トケイに出会ったら、是非ひっくり返して、落ちてゆく砂、未来の砂、過去の砂を、ぼーっと見つめて欲しいなと感じています。

皆さん、こんにちは。1月は行くとはよく言ったもので、もう数日で2月を迎えますね。

前回のコラムでは、目的や願いについてお話しする中で、死ぬ時に後悔することについても書籍を引用してご紹介させていただきました。

その中に、5 自分のやりたいことをやらなかったこと、6 夢をかなえられなかったこと、22 自分の生きた証を残さなかったこと等といった、自分の想いを叶えなかったことが姿や形を変えて、沢山出てきていました。

自分から生まれる「興味」や「熱意」、「夢」や「希望」をごまかしていると、とても後悔するのだということがよく分かりますね。

最近、とても気になっていた映画「えんとつ町のプペル」という映画を観ました。どうして気になっていたかというと、原作者の西野亮廣氏の、「ディズニーを超える映画を個人の集まりで作る」という挑戦や、「挑戦者が笑われる時代を終わらせに来た!」という熱い想いにとても心を動かされたからです。

クラウドファンディングを始め、常に時代に先駆けて新しい事に挑戦する西野氏ですが、いつの時代も、新しい事、つまり皆がまだ考えの及ばない事をするというのは、とても大変な事です。

「何を言っているのか、意味が分からない。」「そんなの無理だろう。」「ほら、失敗した。だから言ったのに。」、何も挑戦してもいない周囲から、心無い言葉や態度で笑われ、叩かれることが多いです。

しかし、今皆が受け取っている便利なものや楽しいものは、こうした先人の苦しい戦いの上に成り立っているのです。そして、初めから成功すると分かっていたことは一つとして無いということです。大抵は先行き不透明な暗中模索の中から努力による必然や偶然が重なって生まれたりしたものです。つまり、きっとうまく行くという希望を信じ抜いて、頑張り続けた人の粘りがあったからこそ生まれたものです。

作品の中では、『星があるかどうか分からないけど、ないことも分からない。』という主人公のセリフがあり、このメッセージが場面や人物を変えて何度も届けられます。

出来るか出来ないか、実現するかどうかの未来は、誰にも分かりませんが、出来ないと考えて諦めるのも、出来る可能性もあると考えて挑戦してみるのかは、自由ですが、挑戦してみることができれば、やり切った達成感もあるし、結果も見えるし、経験で分かったことを次に活かすこともできるし、何より後悔もしないということです。

イカリファームでも、これまで、他にない挑戦をしてきましたし、これからも、新しい挑戦を続けて行きます。一人ひとりの個人としても、チームとしてもあるかどうか誰にも分からない星を、「あるかもしれない!!」と見に行く行動をしたいのです。

そして、きっと、星はあると想います。

「大きな一つの星が強く逞しく輝いている」かもしれませんし、「満点の星が広がっている」やもしれません。もしかしたら、「星は無いけど、すごくきれいな空が広がっている」かもしれません。

夢は分からないから楽しいとも思います。

西野氏の舞台挨拶では、「こんな時代を子ども達に渡せない!」と語っておられ、心から共感しました。どんな時代を子ども達に渡したいのか、その願いや夢に合う挑戦を、私たち大人はしていきたいものです。そんな仲間の輪が少しずつでも広がって行く事を願って止みません。
「抱負」
新年が明けて、もう二十日が経ちましたね。ご挨拶が大変遅くなりましたが、本年もどうぞよろしくお願い致します。

さて、皆様は、この新しい一年間に何か抱負を持たれて、新年を迎えておられますでしょうか。

年末年始であろうと、他の時期であろうと、日々は切れ目なく繋がっていて、実際には何かが違う訳ではありませんが、日本人に限らず、世界中で、季節のイベントや節目というものが自然と生まれ、それが生きることの楽しみや良い意味での切り替えポイントになっているのは面白いことですね。

日本に住む私たちにとっては、年末年始は、誕生日や、4月から3月の年度等と同じで、一年間の区切りの節目の一つです。

お正月に始まり、大晦日に終わるのが、日本の四季のイメージですね。

私も、多くの日本人と同じ感覚で、12月から1月になると、新しい一年をどのような一年にしようかなと考えます。

皆さまはどのような一年にしたいと考えられているでしょうか?「早起きをする」「ダイエットをする」「勉強をする」等、〇〇をする!という具体的な目標を挙げて頑張り始めている方もおられるかなと思います。

具体的な行動の目標は、とても大切ですね。しかし、最近私は、目標よりも、もっと大局のものである、願いや目的、方針といったものがもっともっと大事だなと感じています。

何故なら、具体的な目標は一つの手段に過ぎないと感じるからです。具体的な目標だけを考えていると、せっかく立てた目標も、次第に色と意味を見失い、ただしなければならない、心にとっては負担でしかないタスクとなってしまいがちだからです。

「早起き、早起き。」「ダイエット、ダイエット。」「勉強。勉強。」と考えていると、だんだんしんどく、嫌になってしまいますよね。

きっと、早起きしようという考えの奥には、「規則正しい生活で健康になりアクティブに過ごしたい。」や「時間を有効に使いたい」という、もっと大きな願いや目的があるでしょう。

ダイエットについても、自分のボディイメージや成し遂げた自分に自信を付けたいのかもしれませんし、どんな素敵な服も着こなしてみたいという想いが根本にあるのかもしれません。

勉強だって、勉強して身に付けたことを活用して、何かチャレンジしたいとか、誰かと繋がりたいという想いがあるのかもしれないですよね。

究極的には、その目標は叶わなかったり、失敗したりしても、大きな目的や願いが叶えばそれでよいとも言えます。

大きな目的や願いを叶える為の手段は、一つだけではないですし、途中で変わる事もあります。

私たちは普段から、ややもすると、「あれしなきゃ。」「これしなきゃ。」と大きな目的を忘れて目の前のタスクに追われてしまうことが多いように思います。

「あれしなきゃ。」「これしなきゃ。」という心の声が聞こえたら、本来の目的を思い出し、「本当にしなきゃいけない?」「ほかに方法はない?」と考えたいと考えます。

本来の目的にとって必要ならば、頑張るのも良いですし、必要でないなら辞めたら良いですし、もっと良い方法があるならば切り替えれば良いのだと思います。

新年や自分の生き方を考える機会にあっては、自分の心をじっくりと洞察して、自分の心の動くこと、自分にとって本当に意義のある願いや目的を見つけることが何より大切だと感じます。

自分の死ぬ時に、どう生きてきたことが自分をより満足させるのか、一日の終わりに振り返って、自分が喜びを感じるのはどんなことなのか、自分はどんな時に笑顔になれるのか、楽しいのか、それを正しく知るということが、楽しく元気に、そして後悔無く生きる為に唯一必要なことなのではないかと感じます。

以前、「死ぬときに後悔すること25」という、終末医療に携われて来られた医師の書かれた書籍を読ませていただいた時、究極的には、どんな人もこの逆をすることが後悔の無い人生を送ることに繋がるのだなと感じました。この書籍に記された、多くの方が「死ぬときに後悔すること」を引用して、ご紹介致します。
1 健康を大切にしなかったこと
2 たばこを止めなかったこと
3 生前の意思を示さなかったこと
4 治療の意味を見失ってしまったこと
5 自分のやりたいことをやらなかったこと
6 夢をかなえられなかったこと
7 悪事に手を染めたこと
8 感情に振り回された一生を過ごしたこと
9 他人に優しくしなかったこと
10 自分が一番と信じて疑わなかったこと
11 遺産をどうするかを決めなかったこと
12 自分の葬儀を考えなかったこと
13 故郷に帰らなかったこと
14 美味しいものを食べておかなかったこと
15 仕事ばかりで趣味に時間を割かなかったこと
16 行きたい場所に旅行しなかったこと
17 会いたい人に会っておかなかったこと
18 記憶に残る恋愛をしなかったこと
19 結婚をしなかったこと
20 子供を育てなかったこと
21 子供を結婚させなかったこと
22 自分の生きた証を残さなかったこと
23 生と死の問題を乗り越えられなかったこと
24 神仏の教えを知らなかったこと
25 愛する人に「ありがとう」と伝えなかったこと
引用「死ぬときに後悔すること25」大津秀一/著

誰でもドキッとする項目があると思います。今の自分の心の洞察に加え、先人の後悔を活かして、新年も、本当の意味で良い一年にできたらいいなと感じています。



最後になりましたが、本年の書き初めは、「動」にしました。心が動くことを大切に、そして、体もよく動かして元気な一年にできたらいいなと思います。
こんにちは。12月・1月は、年末やお正月が近づき、お餅を食べる機会が増えて、体がお餅を欲する『お餅シーズン』ですね。

イカリファームでも、最高級品種として和菓子業界等では有名な『滋賀羽二重糯』の販売も行っております。すぐに売り切れてしまうので、このシーズン限定なのですが、とても人気の高い糯米です。

直売所のイベントでは、この『滋賀羽二重糯』を使用した『ミニお餅つき教室』を12月19日に開催して、手軽で簡単なお餅の突きかたをお伝えするのですが、今日は、その突き方で作ったお餅を使用できる『おぜんざい』の作り方をご紹介したいと思います。

とっても簡単であっという間にでき、心と体がほっこり温まりますのでお勧めです!


材料は、市販の茹で小豆1パック(缶でも可)、水、糯米(滋賀羽二重糯でなくても可)、打ち粉(米粉等)のみです。

まず、丸小餅の作り方をお伝えしてから、続いておぜんざいの作り方をお伝えします。


<『丸小餅』作り方>

まず、糯米を炊飯器で規定の水分量で炊飯します。

次に、炊けた糯米をボールに移して、水を付けた麺棒等で突き、粒がお好みの量残る状態にする。

作業台や木の板の上に、打ち粉を分厚く撒き、その上に突いた糯米を置き、打ち粉をしっかりまぶしてから、お好みの大きさに丸めます。(ぜんざい用なら小さめ)

これで、小餅の出来上がりです♪

<『おぜんざい』の作り方>

まず、茹で小豆を片手小鍋に空けて、規定量の水を加えて、火にかけます。

その間に、先程の小餅をトースターなどで規定の時間で、表面がこんがりするまで焼きます。

そして、焼けた小餅を一煮立ちした小鍋に入れて少し温め、なじませます。

最後に、器によそって出来上がりです♪

<ポイント>

美味しく作るポイントは、何といってもお餅の突き具合です。是非、餅の突き具合で、粒を残した時と、残さなかった時の食感を楽しんでみて下さい。

今回私は、糯米に1/3のうるち米を混ぜて、おはぎ風の食感の小餅を入れて戴きました。(例.うるち米1合、糯米2合で炊く)

通常のおぜんざいと違い、ふわっと柔らかく新しい食感ですし、トースターの網目が普通のお餅より深く残り、もこもことしていて、とても雰囲気のある見た目のおぜんざいが出来上がり、家族には「わぁ~!!」と喜んでもらえました。

皆様も、『手作り丸小餅』づくりや『手作り丸小餅入りおぜんざい』づくり、是非お試しくださいね!!

『ミニお餅つき教室』も現在まだ、予約可能枠が数枠が残ってますので、是非お問い合わせ下さいませ。

皆さんこんにちは。気温が下がり、随分寒くなってきましたね。そして、明日から12月、師走に入りますね。

師走は、一年間の節目をしっかりと締めくくり、新年を気持ち良く迎えてよいスタートを切りたいという想いから、一年間の終いと新年の準備で忙しくなりますね。そして、その一つが大掃除だと思います。今日は、掃除に関してお話ししたいと思います。

イカリファームでは、仕事終いの最後の日のギリギリまでいつも通りに仕事をしていて、年一回の大掃除は大々的には行いません。

毎日、毎月定期的に、決められた基準で小掃除・点検を行っているので、年一回の大掃除は必要無いのです。事務所の中は、毎日、持ち回りの日直が決められた掃除を実施していますし、広い農場内の各建物や各エリアごとに担当者が設置されていて、担当者が定期的に点検・清掃を行っているからです。百の仕事を行う百姓であるのにもかかわらず、綺麗な農場が保たれていることは本当に気持ちが良く、安全で仕事がし易く嬉しい事です。

農機等も作業のシーズンごとに、点検・メンテナンスの時期が決まっていて、その時に掃除も含めて行っているので、いつでも、次のシーズンには問題なく使用できる状態となっています。

仕事終いの日に、建物内を軽く掃除したり、大きな農機や車両を軽く洗車したりはしますが、気持ちの節目として行っているだけで、本当に必要に迫られての大掃除はあまり発生しません。

例えば、家庭においても、定期的に床の掃除機やほうき掃きと水拭き、トイレや玄関の掃除を行って、換気扇や窓、網戸も拭き掃除やメンテナンスを定期的にしていれば、そんなに大掃除は必要ないのではないでしょうか。

最近は、ロボット掃除機が安価なものから高価なものまで豊富で、普及してきていますので、ますます小掃除は楽になってきているように思います。私は、網戸と窓の掃除は定期的に出来ていないので必要にはなりそうですが、家中の窓と網戸を拭いたとしても、数時間で終わるのではないかと思います。

しかし、この定期的な掃除は、行ってみると難しいことでも手間の掛かることでもないのですが、難しいと感じられる方も多いのではないでしょうか。

普段小掃除を定期的に行い綺麗な状態を保つ前提のコツとして、物とゴミが少なく、不要な物やゴミを放置したり溜めたりせずに定期的に出しているという二点が、掃除し易くする為に必要なのですが、こちらが難しいからかと考えます。物が多く、掃除しにくい環境だとそもそも掃除出来ない箇所が多く、気持ちも億劫になってしまいますよね。

では、どうしたら、物やゴミが少なく、不要なものやゴミを定期的に出せるのでしょうか。まずは、以前のコラムでもお話ししましたが、物でも情報でも基本的に全ては要らないというスタンスで、どうしても要る物だけ厳選して意識して持つということです。

逆に、不要な物やゴミ、悩むものについては、基本的には全部不要と考えて、どうしても持っておかなければならない理由があるもの以外は全て捨てるという考え方をするということです。

余分なものを持たないということは、世の中が余分なものを作らなくて済む、余分なものを処分しなくて済むという理由で、自然環境の負荷を減らす為にも、人間の労働負荷を減らす意味でも良い影響がありますし、所有する本人が悩む気力や掃除の手間、場所代等、所有するに当たって掛かる余分なコストの削減にもなります。また、入り口の段階で余分なものを持たないということは、掃除が減るということですので、前述の通り、掃除のし易さに直結します。

また、どうしても出てしまうゴミを減らす具体的な方法についてですが、徹底的に分別をするということが必須です。何でもかんでも燃えるゴミにまとめてしまうのでは無く、ビン・缶、ペットボトル、紙ごみ、生ごみを分別するだけでも大きなゴミの削減になります。

特に、紙ごみはかさばるので、家庭でも分けてみると驚くはずです。これが、燃えるゴミとしてではなく、紙ごみとして回収されれば、燃えるゴミが減りますし、リサイクルされる自治体もあります。イカリファームでは、事業ゴミとして紙ごみを回収し、専門業者に出しているので、廃棄費用も抑えられますし、資源の再利用をしてもらえるのでとても嬉しい事です。

また、家庭の生ごみについては、以前まで袋に入れて燃えるゴミにまとめていましたが、庭に、簡易コンポストとして囲いと蓋だけ設けて土に還すようにしたところ、燃えるごみの1/3以上が減り、想像以上の効果でした。お庭が無い場合は難しいですが、お庭がある場合は、畑や海、大地から来た植物・動物からなる食物のゴミを、是非、また土に還していただければムダな環境負荷を減らすことができるのではないかと考えます。

皆さんも、一年間の締めくくりの12月に、ゴミを減らし、掃除を減らす工夫を一考してみてはいかがでしょうか。

皆さんこんにちは! 11月半ばを過ぎ、寒さも感じる様になりましたが、最近は良く晴れた日が続いていますね!紅葉も綺麗ですし、外出してお散歩を楽しむのに良い季節です。

まだまだ予断は許しませんし、その程度も地域により差がありますが、「GoToキャンペーン」を利用して、旅行や飲食をされる方も増えてきました。経済状況が復興することや、余暇も含めた日常が少しずつ取り戻されることを願うばかりです。

三週間以上前に遡りますが、イカリファームの収穫祭の日には、沢山の皆様にお越しいただきまして本当にありがとうございました。お祭りの最中や後に、ずっと楽しみにしていただいていたこと、ゆっくりと楽しんでいただけたこと等をお聞かせいただき、スタッフ一同とても嬉しくなりました。来年も変わらずに元気に開催できるよう、スタッフ一同、いつも通り、今の目標、業務に集中して毎日を積み重ねていきたいと思います。

お祭りの日には、ピザやパン、ビール等、今年の小麦粉を使用した様々な食べ物を販売させていただいたのですが、今日は、そのイカリファームの強力小麦を使った手作りおやつをご紹介します。

今日ご紹介するおやつは、「さくさくふわふわドーナツ」です。薄力粉で作ったドーナツも、柔らかくて美味しいのですが、強力粉で作ったドーナツは、外はサクサク、中はふわふわもちもちとしてこれはまた美味しいです。 揚げ加減によってサクサクとふわふわの具合が変わり、それもまたとても楽しいです。うっすらきつね色ぐらいが、しっかりサクサクしながらも、中はふわふわに仕上がって私は好きですが、皆さんも是非、試してみて下さいね!

作り方は、とっても簡単です。混ぜて、捏ねて、型抜きして、揚げる、これだけです。

まず、卵1つ・サラダ油20g・砂糖70g・牛乳大匙2・バニラオイル数滴を混ぜます。

次に、強力粉200gとベーキングパウダー大匙1を加えてゴムベラで混ぜます。

次に、1cmの厚さに伸ばしてから、型で抜きます。

最後に、160℃の油でサックリと、きつね色になるまで揚げて出来上がりです!

材料のおススメは、油を新しく良質なものにすることと、砂糖は精製していない天然糖にすることです。 私は、本当のオリーブオイルと、素焚糖(砂糖きび100%)を使用しました。油と砂糖の雑味や旨味は味にはっきり表れるので、色々と試してみて下さいね。

私は、子どもと色々な形の型抜きで楽しみましたが、結構膨らみますので、ドーナツらしい丸いリング型や、丸めた形がお薦めです。型抜きしたい場合は、大き目の型が、膨らんでも形が崩れずお薦めです。

それでは皆さん、是非、強力粉の「さくさくふわふわドーナツ」作ってみて下さいね!今後、イカリファームの強力小麦粉で、色々なお菓子等を作って、またご紹介させていただきたいと思いますので、それもまた、楽しみにしていて下さいね。

皆さんこんにちは。イカリファームでは、先日やっと刈り取り時期が一番最後の品種『しきゆたか』を収穫し終わりました。

「みずかがみ」「コシヒカリ」「きぬむすめ」「しきゆたか」…と出来上がってくる“穫れたての新米”を、今年もいつものように順番に戴いているのですが、セールストークでは無く、「今年のお米は特別美味しい!!」と感じています。

それは家族揃って同意見で、娘もいつも以上に大きい口でパクついて、ご飯のお替りが増えています。内輪話で大変恐縮ではあるのですが、例年以上に「皆に食べて欲しい!!」と思える、イカリファームの全員の力を総集したお米ができたので、自信を持ってお勧めしたいです。

私は、特に「しきゆたか」に感動しました。穫れたて精米したての新米ということを差し引いても、ピカピカ艶々、ふっくらもちもちで本当に噛めば噛むほど甘いのです。お米を食べたら、おかずが無くてもこんなに満たされる感じはなかなかないなと思います。朝早くから夜遅くまで頑張って作業している生産メンバーの姿を見きたので、精米や保管も含めて皆様に丁寧にお届けしたいと心から感じています。

さて、今週の日曜日は一年間のメインビッグイベント「収穫祭」を開催します!!まだ三回目の開催ですが、楽しみにして下さる方が毎年どんどん増えて、私たちも気合が入ります。  

この収穫祭は、収穫した農産物を楽しんでいただくという「収穫祭」という側面も勿論あるのですが、そのことを通して、「皆様へ感謝のおもてなし」をさせて頂きたいというのが一番のイカリファームの想いです。今年は、イカリファームからの「豚汁」の炊き出しや、「穫れたての新米のおにぎり食べ比べ」の恒例のふるまいもありますし、新商品「イカリファーム小麦のこだわりビール」のお披露目や、初めての「籾殻プールで宝探し」の遊び等もご準備してお待ちしております。

毎年イカリファームのお祭りを盛り上げて下さっている長岡農園様の窯焼きピザも、イカリファームの小麦を使ってご提供致します。新商品の手作りビールと一緒に是非楽しんでいただきたいです!ピザやビールはお持ち帰りも出来ますので、運転手の方にも、是非お家で楽しんでいただきたいです!実り農園様の穫れたてのお野菜や、大人気の食産工房様のジェラートも今年もございます。

また、イカリファームのみたらし団子を七輪で焼くコーナー、動物触れ合いコーナーや農業に関する展示等もございます。是非、ご家族お誘い合わせの上お越しください!「食べること」「遊ぶこと」「知ること」「体験すること」「触れ合うこと」を皆様とご一緒に楽しませていただくことを、スタッフ全員楽しみにしております。

当日は、スタッフ全員がそれぞれアイコン付きの名札を着用していますので、名前やアイコンをきっかけに皆様に気軽にお声がけいただき、お話しできたらいいなと考えています。どうぞよろしくお願い致します!!
こんにちは!昨晩は、オレンジ色のお月様がとても綺麗でしたね。いつもより、かなり大きく明るく照らされていて、娘や近所の方々と「すごいね。綺麗だね。」と、山に掛かる満月を見上げて楽しみました。帰ってから、娘がお月見の貼り絵を作って見せてくれたので、十五夜にしていなかったお月見を、遅ればせながら楽しませてもらえた晩でした。

さて、お月様が綺麗な秋ですが、「○○の秋!」といえば、皆さんは何を思い浮かべますか?私は、「食欲の秋‼」が一番に来て、「芸術の秋」が二番目に思いつきました。あとは他に何かあるのかなと思って調べると、定番の「読書の秋」、「スポーツの秋」が出てきたのですが、意外だったのは、「睡眠の秋」でした。「紅葉の秋」、「趣味の秋」なんていうのもありました。

私は、秋にはとにかく美味しいものを食べたいと思っているので、一番に「食欲の秋!!」が出てきましたが、続いてすぐに「芸術の秋!」が思い浮かびました。自分がどんな秋にしたいかが、答えの順番に現れてくるところが面白いので、色々な人に聞いてみたいなと思いました。

さて、どうしてこんな話をしたのかということなのですが、私はこの秋書道にハマっています。娘と好きな文字や線を書いたり、久しぶりにしたいなと思っていた等身大の全切りサイズの半紙に大きな筆で字を書いたりしています。

元々は、手本を見て真似をして綺麗に書く書よりも、自分の感性で描く魂の籠った書が好きなので、いつもは自由な文字を自由に描くのですが、この秋は、図書館で見つけて借りた、私の大好きな書道家の武田双雲氏の著書「書本」という子供向けの簡単な漢字の1文字の書沢山載っている本を真似ながら、書道家気取りで楽しみました。書道や茶道、剣道等の武術、芸事、もっと広く言えば全てのスポーツや仕事や掃除などの作業にも共通することだと思うのですが、所作や状況の一つ一つに集中するということは、物凄く充実感があり楽しいことです。

先日、前述の武田双雲氏が実業家でもあり作家でもある本田晃一氏と共にお話しされていた内容に、とても心動かされました。

「人間は、暇というものがとても苦手で、暇になるとつい、悩みや不安を創り出したり、物事のハードルを上げてわざわざ取り組むべき課題を創り出したりしてしまう。」例えば、「暇を感じると何もせずにはいられずにゲームをし始め、どんどんレベルを上げて取り組んでいく。でも最後の敵を倒したら、取り組むべきものが無くなってしまって困ってしまう。そして、暇になるとたちまちに、不安なことや悩みが創り出されて行く。」というようなことです。

「そんな時、『一つ一つのことに感謝する。』とか、『ポジティブに考える。』とか、『一つ一つ丁寧に、味わう。』、『今ある幸せを感じる』等で意識を今に戻すことができるといいのですが、それは思いの外ハードルが高く難しいですよね。」と言われていました。そして、そんな方にお薦めな、武田双雲氏が暇なときにいつもしているお薦めのゲームがあるそうです。

「一つ一つをただ数えるんです。『声が出ている。』とか、『風が肌に当たっている。』とか、『水が出た。』とか、『あ、赤色だ。』とか、全ての事をただ数えるだけ。感謝するとか味わうよりも、軽くて沢山できるから良いですし、暇なときに刺激を求めるよりも、副作用も無く、どんな状況でも、いつまででも続けられる。勝手に味わう感覚になり、感謝が溢れてきて、刺激物も要らなくなり、自然と満たされて行く。」のだそうです。

そして、「人は、皆今を生きていない。ドライヤーで髪を乾かす時、濡れている髪の毛から早く、乾かし終わった状態になることを求めているので、ドライヤーで髪を乾かしているこの瞬間は、イライラしている。手が砂だらけになった時も、『うゎ、砂を取らなきゃ。』と思って、砂を落とすことに集中していて、落とし終わるまでは焦ったりイライラしたりしている。これが苦しみの原因。ドライヤーで乾かしている今の瞬間のプロセス一つ一つに心が在れば、幸福になれる。」

「人は皆、今の状況を勝手に悪く判断して、目標に向かって良くしていこうとしている。すぐに未来に頭がいってしまう。それは幸福度が低い。幸福になるには、目標設定やその達成が必要な訳では無く、一つ一つのプロセスに意識を向けることが必要なだけ。」ということをおっしゃっていました。

AIが様々な仕事を代替してくれる世の中になれば、働く時間が短くなり、暇な時間が増えるので、その時にもこの暇つぶしは有効だとお話しされていました。長い時間があることを、暇だと恐れて慌てるのではなく、どっしりじっくり楽しむモードになれることはすごく幸せなことだと思います。その在り方の練習、きっかけとして、「一つ一つ数えるゲーム」は、とても有効だと感じます。

また、設定通りに働く仕事は、AIがしてくれるようになるのであれば、私たち人間は、0から1を創り出すイノベーション能力が求められると言われますが、そこに必要なのは、AIには出来ない感じるということを極めることなのかもしれないと感じます。

読まれる方によっては、難しく感じたかもしれませんが、私は、今日のテーマは、本当は皆に分かる話だと思っています。何故なら、自分の娘たちを初め、子どもを見ていると、どの子も皆自然と「一つ一つ数えるゲーム」に興じているからです。そして皆、自分だけの感性を磨いています。子どもの言動はイノベーションで溢れているとも感じます。

朝晩冷え込むようになってきた晩秋ですが、私は、「一つ一つ数えるゲーム」を入り口に、「一つ一つを感じる秋」を楽しみたいです。

皆さんもこの秋は是非、自分らしい楽しみ方で過ごされてはいかがでしょうか。
皆さん、こんにちは。イカリファームでは、八月末から、稲刈作業のシーズン真っ盛りです。それはずばり、お米が美味しい季節ということですね。店頭には、既に、「みずかがみ」と「コシヒカリ」の新米が並んでいます。まもなく、「みずかがみ」も収穫されてお届けできるようになりますので是非、お楽しみにお待ち下さいませ。

先日、9月5日(土)の新米イベントにお越しくださいましたお客さまが、毎日土鍋でお米を炊いておられるとお話して下さいました。土鍋でご飯を炊くのは、時間が掛かったり残ったご飯の温め直し等大変そうなイメージがありますが、慣れると簡単で、土鍋で炊いたご飯は、やはりとっても美味しいそうです。

以前から、土鍋で炊くご飯を毎日食べたいと思っていた私は、気に入る土鍋を探すのを楽しんでいるところです。もし、土鍋を手に入れて、美味しく炊けましたらまたお伝えさせていただきますね。

さて、今日は、「暮らしの要る、要らない」の話をさせていただきます。物が充足し、溢れ出す社会になって、そこから更に情報も溢れ出す社会になって久しいですが、私たちはまだ、多すぎる物と情報と上手く付き合う方法を手に入れているとは言えないということを日々感じています。
自分自身で制御する、防御するという意識がなければ、あっという間に自分の生活に物と情報が大量に入ってきて、私たちの生活を埋め尽くしてしまうことは、多かれ少なかれ感じている人が多いと思います。

物で溢れた状態でいることが心に与える恐ろしい影響は、「ストレスが溜まる」「集中できない」「自由を奪われる」「前進できない」ことだという話を聞いたことがあります。これは、情報であっても同じことが言えます。雪崩れ込んでくる物と情報を、意識的に制御する事ができなければ、幸せと逆行する状態に陥ってしまう可能性が高いということですよね。

誰にとっても人生の時間も力も、お金も有限です。そしてその有限の資源が、自分にとって大切なことに使われる割合が高ければ高いほど幸せを感じやすいですよね。自分にとって大切で無いただ雪崩れ込んで来ただけの、物や情報に侵されてしまっているとしたら、とても勿体ない事です。

でもだからといって、この大量に雪崩れ込んでくる物や情報の取捨選択を一つずつ行っていたら、私たちの人生はそれだけで終わってしまうとも思います。今溢れている物や情報の一つずつが要る物なのか要らないものなのか選択するのでは無く、基本的には要らない物と考えて、「どうしても要る物」だけを自分で把握して、選び取って行くという生き方が今、誰にとっても必要なのではないかと思うのです。

例えば、生活必需品で考えてみましょう。私たち日本在住の大半の方が「当たり前に必需品」だと思って、買い続けている物が沢山あります。洗濯洗剤や食器用洗剤、掃除用などの洗剤類、食品用ラップ、歯磨き粉。スーパーやドラックストアに行ったら、無条件にカゴにポイポイと入れているのではないでしょうか。

玄関や台所やトイレ等のマット類やテレビ、電子レンジ、トースター。沢山の食器・衣類・沢山のおもちゃや過去や現在の趣味のもの。

勿論要る物と要らない物が混ざっているのですが、前提として要ると思っていることにより、要るかどうか考えたこともないアイテムがあるのでは無いでしょうか。
一つ一つよく考えて見ると、必ず、絶対に必要という訳ではない、無くても良い、むしろない方が良いものが存在することに気が付きます。

例えば、洗濯用の合成洗剤の成分表示を見たことがありますでしょうか。洗浄成分以外の化学物質の添加物が沢山入っています。これが皮膚疾患の要因の上位に合成洗剤がいつも入っている理由です。暮らしの中の化学物質は、食器用洗剤にも含まれます。私は、洗浄成分のみ使うという意図で、粒状の「過炭酸ナトリウム」と繰り返し使える「マグネシウム」のみを使用して洗濯をしていますが、殆ど生活に問題がありませんし、むしろ子どもと家族の健康に安心でとても気に入っています。

また、食器用洗剤についても、食器に洗剤が残り匂いや味がするのを感じますし、食事をする際に微量ずつでも継続的に摂取し続けることを避ける為に、食器用洗剤を使いません。適切な道具を使い、お湯で丁寧にしっかりと擦り洗えば、とてもきれいに洗うことができ、洗剤の香りや味がすることも無く、気持ちよく食事をすることができています。「びわこ布巾」という商品は、琵琶湖の水質汚染予防の為に作られたガラ紡の布巾で、食器のこびりつき等もしっかり落とすことができ、消毒を行えば長期的に繰り返し使うことができます。

要らない物を無くすこと自体にもメリットがありますが、副産物として、洗剤類を定期的に買う手間と時間とお金が減ることは、その他の事に手間と時間とお金を使う余力が増えるということですのでとても有意義なことです。

また、テレビ、レンジ、トースター等も要らない場合や、代替の効く場合が考えられますし、食器や衣類については、最低限の数にすることもできますよね。
私は、食器は基本的に数種類、人数分のみ、客用も想定される人数分最低限しか持ちません。

衣類についても、スティーブジョブズが黒いTシャツとジーパンしか身に付けないという、衣服の制服化を行っているのは有名です。自分の選択・情報を減らし、大切な事に使う脳や心、体、時間の容量を目減りさせずに確保しているのです。同様に、衣類の種類や数の固定化や厳選をして、迷う時間を減らすことや、本当に好きなものを奥深く味わうこと、選択の精度を上げることによって自分のキャラクターを内外で貫くことを大切にする生き方をされる方も増えてきましたよね。

私も、流行のミニマリストや断捨離スト、スティーブジョブズ等の天才たちと同じようにではありませんが、基本的には、衣類の素材は自然素材の物と決めていたり、色柄は基本的に、白かベージュ単色で固定とか、アイテムは動きやすいシャツとスカートか緩いズボンだけ等、縛りを設けて衣服を減らし、選択や悩み、行動数を減らしながらも、自分の好きを追求しています。

時間の使い方、仕事の仕方でも、「これはする」「これは大切」と選択した物は取り入れますしとても大切にしますが、選択したい程でない物については、基本的には全て「要らない」という前提で考え、できるだけ取り入れないように工夫しています。

情報で言うと、テレビを殆ど見ませんし、スマートフォンは、在宅中は玄関のスマホスタンドに置き、「今要る」というタイミングに意識的に使う時以外には、基本的には傍に置きません。そのことによって、子どもや家族との顔を見てのコミュニケーションや、家事、趣味や読書、休息その他の自分にとって「要る」ことに、自分の心も行動も時間も向けることができています。

特に、親と子供が顔を見て会話する時間を死守することは、現代の子育てにおいてとても重要なことだと思っています。

「要る」ことを選び取り、「要らない」ことを勇気を持って捨てていくことは、「要る」ことをより充実させ、自分の幸せを育てることに直結していると感じます。「要らない」と判断して捨てたことにより、生まれた「要る」の入る余地に、自分にとっての幸せを更に増やして行けるということだからです。

冒頭の土鍋でご飯を炊くという話に戻りますが、土鍋でご飯を炊いていると話して下さったお方は、皆と同じ24時間、皆と同じ社会に暮らしているわけですが、炊飯器よりも多少時間と手間の掛かる土鍋でお米を炊く時間や心のゆとりが確保できているということです。それを選択しているということは、それ以外の「要らない」ものに侵されている時間が少なく、生活を彩る自分にとっての「要る」を入れることができる状態にあるということなのかなと想像するのです。

家電メーカーが競って製造している炊飯器の売りは、「土鍋で炊いたご飯」のような味です。お釜が実際に土鍋だったり、炊き方が土鍋に近かったりするのでしょうが、よくよく考えたら、数分の短縮の為に、便利だけど高価で本物ではない土鍋風炊飯器を買うのと、安価で本物の土釜で少しだけ時間と手間を掛けて自然で本当に美味しいご飯を食べるのとどちらがいいのかなと考えた時、私は、炊飯器に頼る程忙しく時間をケチらなければならない状態にもしあるならば、その分捨てることのできる要らない事を捨てて、自分の心と体の健康を創り出すご飯を炊くのに数分の時間を掛けることに何も苦労も感じません。むしろ、人生の中で大きな割合を占める楽しみであり、自分の健康を創り上げる食事の主食であるご飯を炊くことに時間や手間を惜しまない暮らしはとても魅力的だと感じます。

人の暮らしの選択には違いがありますし、正解は無いのですが、いつの間にか染みついた今の暮らしの選択、物、情報を改めて一つ一つ見つめるようにして、自分にとっての「どうしても要る物」が見えてくると、どんな人にとっても、人生が少しずつ輝き出すような気がしてなりません。
こんにちは。いつの間にか、少し前まで聞こえていた「アブラゼミ」や「ミンミンゼミ」の声が聞こえ無くなって、蝉の声といえば、「ツクツクボウシ」だけになってきました。

あちこちの田んぼで、稲刈りのコンバインも一斉に動いています。私の娘を含め、公園に集まった子ども達も皆、コンバインに大興奮で、いつまででも農道から作業風景を見ています。

そして、ふとコンバインの先遠くに視線を移すと、田んぼがどこまでも広がっています。私たちが農業を営む近江八幡は、琵琶湖、諸河川、山々等に恵まれた平野なので、市街地以外は、どこに行っても見渡す限り、田園風景が広がっています。こういう風景は、どれだけの年月続いて来たのでしょうね。

日本の田園風景は、とても美しく、私のような田んぼの多い地域で育っていない日本人にとっても、故郷の風景であると思います。世界的に見て、国土が小さい上に圧倒的に個人農家の数が多いこれまでの日本の農業は、1枚1枚の小さい田や畑が家族総出で大切に丁寧に管理されていることにより、他国の農業とは違う形で、独自の家族の在り方・働き方の価値観や、地域ごとの田園風景を創り出して来ていますよね。

北から南まで気候も違えば、盆地、平野、山の斜面の棚田等、場所も違い、暮らしや土地条件に大きく違いがあるにもかかわらず、日本全国各地で農業が営まれていること自体が、奥深く、凄いことだと感じます。

そしてそれを支えて来たのは、私たちが特に外国と比べる機会が無ければ気付くことができないけれど、当たり前に心に沁みついている「農業を愛する心」なのだと思います。

今、日本では少子高齢化が進み、日本人全体の人口減少と連動して、農業に携わる人の人口が減っています。これまでの、個人農家で小さい田んぼを家族皆で手分けして管理し、次の世代に引き継いでいくという流れから、祖父母の代で田を手放し大規模経営体に任せるという流れに変わっています。

家族から、組織に田の管理が引き継がれて行くこと自体は止めることの難しい流れですが、その中でも、家族で田を耕していた日本の農耕民族の心や故郷の景色の良い所は、引き継がれて行って欲しい、引き継いで行きたいと思うのです。

組織で農業を行い、経営を行うということは、家族経営とは違う利益を追及する部分が出てくることは当たり前ですし、新しい価値観で新しい農業の形が築かれて行くのだと思います。

しかし、「環境を保全する」「食を重んじ、丁寧に作物を育てる」「景観を守る」「感謝して戴く」「皆協力して働き、地域・家族仲良く」等、日本の農業が築いて来た日本人にとって大切な故郷の心の在り方は、見えにくいものでは有りますが、現代の日本人の幸せにも直接的に通じることだと感じる事だと思うので、大切にされて後世に残っていくようにと願って止みません。

私たち自身も、長く農業を続けるために、柔軟に新しいものを取り入れて必要に応じて姿を変えながらも、これまでの農業の引き継ぎたいものを失うことの無いよう意識していきたいと思います。
皆さん、こんにちは。お盆も明けて、街のお店のお洋服も秋色に変わって来ました。今年の季節も半分が過ぎようとしていますね。
私は、この時期になるとつい、まだ早いのに食欲の方も「秋」モードに入ってしまいます。そして、気になる代表が「さつま芋」です。「焼き芋」「蒸し(ふかし)芋」「大学芋」…。どれも甘くてほっこりして大好きなのですが、今日ご紹介したいのは、「さつま芋餅」です。

「さつま芋餅」が日本の食卓でどれくらいスタンダードなものなのかは分からないのですが、私にとってはよく母親に作ってもらった思い出の味の一つです。「今日のお昼ご飯、何にしようか?」と聞かれたときに、「さつま芋餅!!」とねだって、蒸したさつま芋とお餅を妹たちと順番に麺棒で突いていたのが懐かしく思い出されます。

あまりスタンダードではないかもしれない「さつまいも餅」なのですが、作り方は簡単です。

さつま芋と、切り餅もしくは、糯米を一緒に蒸して、水をつけた麺棒で突いて、さつま芋を好みの加減に潰して餅と混ぜ、ちぎって丸めて、砂糖や塩を少し混ぜたきな粉をまぶすだけです。

余計なものの入っていない自然の食材を使ったおやつの中では、優しい味なのに甘みが強く子どものおやつにもとてもお薦めです。さつま芋と糯米の元来の甘みも強い上に、蒸すことで更に甘みが増しますので、きな粉に混ぜる砂糖や塩は控えめが素材の味や甘みが感じられてお薦めです。

私は、農家になって、自分たちで作った糯米で作れるようになってからは、この「さつま芋餅」がより好きになりました。是非、皆さんもこの秋、「さつま芋餅」に挑戦されてみてはいかがでしょうか。
皆さんこんにちは。長い梅雨が明け、本格的な暑さがやってきましたね。色々あった上半期も締めくくりの時期に入り、大人の夏休みももう目の前ですね!!

最近、近所の観光スポットである八幡堀をお散歩していたら、以前から気になっていたのにタイミングが悪く閉まっていることが多かった『木のアクセサリー屋さん』が開いているのを見つけました。家族を誘って、勇んでお店に入ると、看板やパンフレットで見た通り、カラフルで綺麗な色の木のアクセサリーや数珠がキラキラと並んでいました。あまりにそれぞれくっきりとした色の違いがあるので、塗った色なのかと思っていたら、全てが実際の木の色だと教えていただきとても驚きました。そして長いこと、一つ一つを眺めたり、お店の方とお話ししたりとても楽しい時間を過ごさせていただきました。

私は、小さい頃から自然が大好きです。虫も草花も好きですし、水辺も大好きです。そして何より特に好きなのが、「木」です。小さい頃から木登りが大好きで色んな木に登ってきました。木の枝を集めて基地を作ったり、木の枝を振り回して戦いごっこをしたり、木の枝で工作も沢山してきました。大人になってからも、「木」への愛は止まることは無く、家の床、家具、子どものおもちゃ等の大きなものから、まな板やボールペン等小さいものまで自然と「木」でできたものを集めてしまいます。腕時計まで、木のものを選んで買ったこともあります。

お堀沿いに並ぶ木の下を歩くのがとても気持ちよいのも、木のアクセサリーに心躍るのも私にとっては自然なことです。私に限らず、「木」が好きという方の「好き」という感情は、ただの「好き」では無いと思うのです。特に「木」が「好き」と認識していない方でも、たいていは、「木」が「嫌いじゃない、どちらかというと好き」だと思います。触ったり、香りを嗅いだり、見たりすると「安心する」「嬉しい気持ちになる」ものなのではないでしょうか。それは、どこか単なる「好き」を超えたものだと思います。

そこでふと、私たちにとって、「木」が特別感のある存在であるのは一体どうしてなのだろうと疑問に思いました。
木から私たち人間が感じるのは、「温かくて懐かしい感じ」「包まれるような優しい感じ」です。そして、「奥深く、温かくて力強い生命力」を感じているのではないかと思います。

私がピンと来るのは『「自然のパワー」を感じる』という感覚です。見えるところ、手に触れるところ、香りを感じられるところに木があることで、「自然に還るような力をもらえる」と感じるのです。

この夏、「7つの習慣」という書籍を読み、皆で学んでいるのですが、「終わりを思い描く」ということについて、ここのところずっと思いや考えを巡らせています。この連載コラムの名前、『NEW VOYAGE!!』に喩えて言うならば、この航海の目的地を明確にして、目的地(真北)を指すコンパスを持った状態で航海するということです。

人間以外の生命体の一生における目的地、真北はきっと明確で、そこを指し示すコンパスを持ち合わせることは当たり前にできていることなのだろうと思います。それは、無意識に刷り込まれた、子孫を増やすこと、その為に個の生命体を維持すること等なのでしょう。
人間の目的も同様に、子孫を増やすことつまり、人間という生命体を繁栄させることであることに違いは無いのでしょうが、人間は、想像力や感情が豊かである故に、それだけでは満足できないようにできているように思います。

生命体の繁栄以外にも、達成したいこと、すべきことがあるのではないかと考えることが多くの私たち人間にとっては自然なことなのです。自分が生涯を終える時、「幸せだったな。」「楽しかったな。」「充実してたな。」「感謝の気持ちでいっぱいだな。」と思うことができるのは、どんな生き方をすることなのでしょうか。何を目的として生きればそんな生き方になるのでしょうか。その答えがパッと出てきているようで、はっきりとしないようなもやもやした気持ちになる方は多いと思います。

しかし、本来私は私の生きる目的を知っているはず、すでに心の中に持っているはずだと思うのです。ただ、日々の雑踏に気持ちを奪われる中で、コンパスをどこかに忘れてしまい、埋もれてしまっているだけなのだと思うのです。そして、その心のどこかに置き忘れてしまって、埋もれてしまったコンパスを見つけ出すのは難しい事ではないと思うのです。必要なのは、私自身が自然の姿に戻り、元々持っている心や力を取り戻すことだけだと思うのです。

私は、免疫を強く信じているので、自分自身の力でコンパスを見つけ出すことができるとは思うのですが、それを助けてくれるものが自然のパワーだと思うのです。自分の外部の自然のパワーに触れた時、自分自身の自然の姿に簡単に還ることができ、自然の力が内側から湧いてくるのを感じるのです。

私にとってはそれは、「木」のパワーです。

そしてもう一つ、「子どもの笑顔」です。そしてまた、全ての自然のパワーです。そして、「大人の笑顔」とも言えます。人間も自然の一部です。ですから、大人でも自然な人は魅力的です。大人になっても自分本来の姿を保っていることは、自然と同様の魅力・パワーがあると感じます。

自分自身の持っている心のコンパスをしっかりと手に持ち、失いそうになったり壊れかけたりしたら、自然のパワー、そして自分自身のパワーを借りて、自分のパワーを取り戻し、心のコンパスを良く見える様に磨き、メンテナンスをして、本来の自分に還って、自分にしかできない航海を楽しんでいきたいなと思うのです。自然界に住む私たち人間1人1人も、自然のパワーに積極的に触れて、自分のコンパスを探し出してしっかり握り、よい航海をしていただきたいなと思います。