「出来ないとも出来るとも分からない ~挑戦者が活躍する時代を子ども達に」

皆さん、こんにちは。1月は行くとはよく言ったもので、もう数日で2月を迎えますね。

前回のコラムでは、目的や願いについてお話しする中で、死ぬ時に後悔することについても書籍を引用してご紹介させていただきました。

その中に、5 自分のやりたいことをやらなかったこと、6 夢をかなえられなかったこと、22 自分の生きた証を残さなかったこと等といった、自分の想いを叶えなかったことが姿や形を変えて、沢山出てきていました。

自分から生まれる「興味」や「熱意」、「夢」や「希望」をごまかしていると、とても後悔するのだということがよく分かりますね。

最近、とても気になっていた映画「えんとつ町のプペル」という映画を観ました。どうして気になっていたかというと、原作者の西野亮廣氏の、「ディズニーを超える映画を個人の集まりで作る」という挑戦や、「挑戦者が笑われる時代を終わらせに来た!」という熱い想いにとても心を動かされたからです。

クラウドファンディングを始め、常に時代に先駆けて新しい事に挑戦する西野氏ですが、いつの時代も、新しい事、つまり皆がまだ考えの及ばない事をするというのは、とても大変な事です。

「何を言っているのか、意味が分からない。」「そんなの無理だろう。」「ほら、失敗した。だから言ったのに。」、何も挑戦してもいない周囲から、心無い言葉や態度で笑われ、叩かれることが多いです。

しかし、今皆が受け取っている便利なものや楽しいものは、こうした先人の苦しい戦いの上に成り立っているのです。そして、初めから成功すると分かっていたことは一つとして無いということです。大抵は先行き不透明な暗中模索の中から努力による必然や偶然が重なって生まれたりしたものです。つまり、きっとうまく行くという希望を信じ抜いて、頑張り続けた人の粘りがあったからこそ生まれたものです。

作品の中では、『星があるかどうか分からないけど、ないことも分からない。』という主人公のセリフがあり、このメッセージが場面や人物を変えて何度も届けられます。

出来るか出来ないか、実現するかどうかの未来は、誰にも分かりませんが、出来ないと考えて諦めるのも、出来る可能性もあると考えて挑戦してみるのかは、自由ですが、挑戦してみることができれば、やり切った達成感もあるし、結果も見えるし、経験で分かったことを次に活かすこともできるし、何より後悔もしないということです。

イカリファームでも、これまで、他にない挑戦をしてきましたし、これからも、新しい挑戦を続けて行きます。一人ひとりの個人としても、チームとしてもあるかどうか誰にも分からない星を、「あるかもしれない!!」と見に行く行動をしたいのです。

そして、きっと、星はあると想います。

「大きな一つの星が強く逞しく輝いている」かもしれませんし、「満点の星が広がっている」やもしれません。もしかしたら、「星は無いけど、すごくきれいな空が広がっている」かもしれません。

夢は分からないから楽しいとも思います。

西野氏の舞台挨拶では、「こんな時代を子ども達に渡せない!」と語っておられ、心から共感しました。どんな時代を子ども達に渡したいのか、その願いや夢に合う挑戦を、私たち大人はしていきたいものです。そんな仲間の輪が少しずつでも広がって行く事を願って止みません。