『農業の築いてきたもの』

こんにちは。いつの間にか、少し前まで聞こえていた「アブラゼミ」や「ミンミンゼミ」の声が聞こえ無くなって、蝉の声といえば、「ツクツクボウシ」だけになってきました。

あちこちの田んぼで、稲刈りのコンバインも一斉に動いています。私の娘を含め、公園に集まった子ども達も皆、コンバインに大興奮で、いつまででも農道から作業風景を見ています。

そして、ふとコンバインの先遠くに視線を移すと、田んぼがどこまでも広がっています。私たちが農業を営む近江八幡は、琵琶湖、諸河川、山々等に恵まれた平野なので、市街地以外は、どこに行っても見渡す限り、田園風景が広がっています。こういう風景は、どれだけの年月続いて来たのでしょうね。

日本の田園風景は、とても美しく、私のような田んぼの多い地域で育っていない日本人にとっても、故郷の風景であると思います。世界的に見て、国土が小さい上に圧倒的に個人農家の数が多いこれまでの日本の農業は、1枚1枚の小さい田や畑が家族総出で大切に丁寧に管理されていることにより、他国の農業とは違う形で、独自の家族の在り方・働き方の価値観や、地域ごとの田園風景を創り出して来ていますよね。

北から南まで気候も違えば、盆地、平野、山の斜面の棚田等、場所も違い、暮らしや土地条件に大きく違いがあるにもかかわらず、日本全国各地で農業が営まれていること自体が、奥深く、凄いことだと感じます。

そしてそれを支えて来たのは、私たちが特に外国と比べる機会が無ければ気付くことができないけれど、当たり前に心に沁みついている「農業を愛する心」なのだと思います。

今、日本では少子高齢化が進み、日本人全体の人口減少と連動して、農業に携わる人の人口が減っています。これまでの、個人農家で小さい田んぼを家族皆で手分けして管理し、次の世代に引き継いでいくという流れから、祖父母の代で田を手放し大規模経営体に任せるという流れに変わっています。

家族から、組織に田の管理が引き継がれて行くこと自体は止めることの難しい流れですが、その中でも、家族で田を耕していた日本の農耕民族の心や故郷の景色の良い所は、引き継がれて行って欲しい、引き継いで行きたいと思うのです。

組織で農業を行い、経営を行うということは、家族経営とは違う利益を追及する部分が出てくることは当たり前ですし、新しい価値観で新しい農業の形が築かれて行くのだと思います。

しかし、「環境を保全する」「食を重んじ、丁寧に作物を育てる」「景観を守る」「感謝して戴く」「皆協力して働き、地域・家族仲良く」等、日本の農業が築いて来た日本人にとって大切な故郷の心の在り方は、見えにくいものでは有りますが、現代の日本人の幸せにも直接的に通じることだと感じる事だと思うので、大切にされて後世に残っていくようにと願って止みません。

私たち自身も、長く農業を続けるために、柔軟に新しいものを取り入れて必要に応じて姿を変えながらも、これまでの農業の引き継ぎたいものを失うことの無いよう意識していきたいと思います。